『歎異抄』を読んだ

岩波文庫版の『歎異抄』(たんにしょう)を読んだ。恐らく大学院時代に丸善で買ったものなので、6年以上前から積んでいたことになる。ページ数は少ないため、一度軽く読んだ気もするが何一つ覚えていないので、実質初めて読む状態だ。

歎異抄 – 岩波書店 (iwanami.co.jp)

いきなり仏教書を読むということで、何かあったのかと思われるかもしれないが心配ご無用。たまたま目に入って読んでみるかという気持ちになっただけだ。とはいえ、今年に入ってから凄腕スナイパーが主人公のスワガー・サーガを2ヶ月続けて読んでいたため、無意識に殺生を禁ずる仏教の心を求めていたのかもしれない。

『歎異抄』と言えば「悪人正機」の一文「善人なをもて往生をとぐいわんや悪人をや」が有名で、歴史の教科書にも載っていた気がする。その程度の知識しかなく、そもそも「歎異抄」の「歎異」って何……?というレベルだ。

実際に『歎異抄』を読み、少なくとも「歎異抄」という名前の意味は分かった。歎異抄を記したとされる親鸞の弟子の唯円というお坊さんが「親鸞様の言っていたことと異なる説が世間に流布していることを嘆いて書いた」というのが歎異抄の意らしい。つまり、唯円が親鸞の真意を正しく伝えるために記したものということだ。

そもそも歎異抄は親鸞が書いたものだと勝手に思っていたので、弟子が書いていたとは知らなかった。ちなみに親鸞について知っていることも少ない。浄土真宗の開祖で「何も見ずに名前を漢字を書け」と言われても書ける自信はない名前の筆頭だということくらいの知識である。

とにかく『歎異抄』を読んだ。岩波文庫版は94ページしかないため、読もうと思えばすぐに読み終えることができる。そして読み終えた。しかし、一体何が書いてあるのかサッパリ理解ができなかった。これで読んだと言えるのか……?

何も理解できなかった理由は大きく2つある。1つ目は読んだ岩波文庫版は必要最低限の解説しか記されていなかったこと。そのため、これだけを読んでも『歎異抄』のことをイマイチ理解できなくても不思議ではない。2つ目はそもそも前提として仏教のことを何も知らないので、当然仏教書である『歎異抄』を読んでも分からないだろうということ。

理解できないなら、理解できるように知識を集めれば良かろう。そこで歎異抄関連の本を追加で2冊読んでみた。仏教の初歩の初歩から勉強するのも良いが、とにかく『歎異抄』に興味をもったので、いまはまず『歎異抄』関連の本を読む方が良いだろうという判断。鉄は熱いうちに叩け、だ。

一冊目は阿満利麿『『歎異抄』講義』』。これは著者が勉強会で行った講義を書き起こしたものらしく、歎異抄の各章について解説をしているため、ボリュームは大きいが内容は分かりやすかった。

筑摩書房 『歎異抄』講義 / 阿満 利麿 著 (chikumashobo.co.jp)

二冊目は高橋源一郎『一億三千万人のための『歎異抄』』。高橋源一郎さんの本は競馬に関する随筆くらいしか読んだことがなかった。この本は著者が私的に現代語訳した歎異抄である。とにかく現代語なので読みやすい。ただ、解説はあまりないため、一冊目でこの本を読むとかえって理解が難しくなるように思う。

一億三千万人のための『歎異抄』 (asahi.com)

二冊読み、そもそも浄土真宗が現世に期待をしない思想であるということを知った。「念仏をすれば救われる」という考えは知っていたが、救われるのは来世以降の話であり、現世利益のために念仏をしても救われるわけではないらしい。念仏をする→死後、どこかで阿弥陀が救う→仏になるという流れ。いまの浄土真宗の教団がどういう教えをしているかは知らないが、少なくとも親鸞はそういうことを言っていたらしい。

他の宗派が必死に修行して生きながらにして悟りをひらいて仏になろうと頑張っている横で、どんなに頑張っても自力で仏になるのは不可能と言い切る潔さ。自力ではどうすることもできないので他力本願(阿弥陀仏による救い)によって死後救われるという思想は、現代の我々にはなかなか受け入れるのが難しい。もっと言うと、現代人だけでなく当時の親鸞の弟子たちも「念仏以外にもやった方がいいことありますよね?」と聞きにきており、あれこれ動かないでいることへの漠然とした不安感は人間の生来のものらしい。

現世で仏になるのは無理ゲーなので、念仏して来世以降で阿弥陀の救いをワンチャン待つ。やることは念仏だけなので間口は広いが、今生で救われること自体は諦めているため、この世に絶望しないと辿り着けない境地のように感じた。余談だが、法然や親鸞の生きた時代は激動で、彼らの人生も激動のものだったようなので、そういうことを信じるのも分からなくもない。親鸞の人生について興味が出たので、後日関連する書籍を読んでみたいと思っている。

そもそも仏教とはいうのは、「四苦八苦」という言葉があるように、人間の活動のあらゆることが苦しみを生むという現代人の価値観からすると遠いところにある考えがあるっぽい。どうしても現代人の我々は「正しい努力をすれば物事は良い方向に進む」と思ってしまう節があるので、すべてが苦しみだ~と言われてもピンとこないというか、どこか受け入れがたいものがある。

どうやら僕は阿弥陀の誓願が必要なほど今生に絶望をしていないらしいことが分かってきた。もっと歳をとり、人生色々あればいつか心の底から念仏を唱えるようなこともあるのかもしれない。

他にも色々と面白いことが書いてあるので、人生に絶望したときに読んでみてもよいだろう。

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