佐藤究『テスカトリポカ』を読んだ

佐藤究さんの小説『テスカトリポカ』を読んだ。

直木賞を受賞しているので、読んだことはなくても題名は知っている人も多いかもしれない。僕もそのくちだったが、テスカトリポカというタイトルに不思議と惹かれ、時間もあるので読んでみた。

テスカトリポカはアステカの神話に登場する神らしい。他の神であるケツァルコアトルの名前は知っていたが、テスカトリポカのことは知らなかった。僕はアステカ神話のことを何も知らない。

内容やあらすじについては、調べれば出てくると思うのでそちらに譲るとして、この物語のテーマは『臓器売買ビジネス』だ。そこにいたるまで、メキシコの麻薬戦争や在留外国人、またはその二世たちが登場する。僕は臓器売買についても、麻薬戦争についての知識もない。

特設サイトもあったので、内容についてはこちらを見た方が理解できるだろう。試し読みのできるとのこと。

本書はアステカ神話や臓器売買、麻薬戦争について、かなり具体的に描写しているため、僕のような知識ゼロの人間でも、つまづくことなく読み進めることができた。もちろん、本書内に出てくる内容がどこまで現実に即しているかは分からない。本書はフィクションであるし、実際の情報については調べていない僕の怠慢に責任がある。

この先、内容に触れる。ちょっとネタバレがあるかも。

本書の登場人物の一人の時間の認識の仕方が面白い。普通は「〇〇が△△をする時間」と言うが、その人物は「時間が△△を〇〇とする」という。ロシア的倒置法ではない。

つまり、時間を主語とした捉え方である。「私が料理をする時間」ではなく、「時間が料理を私とした」ということ。最近、僕も時間の捉え方について、やや認識を改めたところである。時間という大きな容器の中で、我々が過ごしているのではなく、我々やすべてのものこそが時間ではないか、と最近考えている。こんなことを考えていたところに、少しズレた時間の認識の話が出たので、つい注目してしまったというわけ。

本書のテーマは『臓器売買ビジネス』と書いたが、それと同時にテーマとなっているのは『家族』である。最初から最後まで、家族という言葉がよく出てくる。実際には、「壊れた家族」といった方が正確かもしれない。臓器売買という血と病院の匂いがする言葉と、家族という言葉には隔たりがあるかもしれないが、それはメキシコの麻薬カルテルやアステカの供犠などのモチーフを使い、うまいこと描き出している。

色々な家族を描くということもあって、本書には登場人物が多い。そこでは成長の物語や、破滅の物語が語られる。中には救済と呼べるような物語もあるかもしれない。本書がどのような物語に映るのかは、どの人物の視点から顛末を見るか(誰に一番感情移入するか)によって違うだろう。

僕は本書を親離れ、子どもの成長という観点で読んだ。子とは父を超えていかなければいけないものだ。そのような観点で読んだためなのか、暴力描写や重いテーマにも関わらず、読後には清涼感のようなものが胸に残った。

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