「体験」と「つぶやくこと」の距離をとる

close up photography of smartphone icons Notes
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僕はSNS大好き人間。SNSがもたらす情報の洪水に押し流される快感は他の媒体からは得難く、ついついSNSを見てしまう。

そんな僕でも最近は「現代人ってなんでもかんでもつぶやきすぎじゃね?」と感じている。

特に「X(旧Twitter)」(←2020年代でダサい表記のTOP10に入る)はその傾向が顕著だ。ユーザー数の多さ、文字を使って表現することが多いという特性からなんでもかんでもつぶやくことができるし、実際につぶやいている。

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あらゆる事象をつぶやくことによって何が起きるか。それは「炎上」である。X上では毎日どこかで火の手があがっている。大きい火柱が立ったかと思えば、いつのまにか鎮火し、そして誰もそのことを薄っすらとしか覚えていない。それがXなのだ。

しかし、つぶやきとはそれ単体で炎上するわけではない。SNSには放火魔がたくさんいるのだ。正しく言えばユーザー全員が放火魔になりえる。そういう仕組みになっている。何かしらの投稿があったとき、僕を含むユーザーがそれについて何かしらの意見をくっつけてさらにつぶやく。それが繰り返されることでバズる、もしくは炎上を生み出す。これは僕たち一人ひとりの人間が自分の考えや意見を持っており、それを自由に発言できるため起こってしまう。逆にいえば、炎上が起きない社会というのは自由な表現が規制された世界なのかもしれない。

しかし、炎上した投稿をよく見ると「本当にそれってつぶやく必要ある?」ということまでつぶやかれていることが多い。思えば、昔からそんな投稿は多かった。しかし10年ほど前は「はらへった」「トイレなう」のような本当に意味のないつぶやきが多く、タイムラインが騒がしいな……くらいにしか思えなかった。いまや意味のある有害なつぶやく必要のない投稿で溢れている。

これはつぶやきの質が変わったのではなく、僕自身が変わってしまい、有害なつぶやきばかり目にするようになってしまったのかもしれない。要審議。

炎上しやすい投稿は、誰でも関係があって、なおかつ自分の意見を述べられることが多い。仕事、育児、世代間ギャップ、ジェンダーなどのトピックには地雷が多い。とにかく、このあたりの話題になると怒り続けている狂戦士(バーサーカー)が生息しているイメージである。

あまりいないとは思うが、もし炎上したいと思った人がいれば、上記のカテゴリからひとつ、もしくは複数選択してみよう。テキストの中に一部だけ過激な意見を入れたり、意見が対立しそうなことを入れると炎上できるかもしれない。

とにかく思うのは僕たち現代人はもっと経験した物事と、SNSでつぶやくことの間に距離を保った方が良いのではないかということだ。体験をネット上でつぶやいて、知らない人間からの反応で自己承認欲求を満たすより、身近な友人や家族に共有してささやかな共感を得た方が長い目で見ると満足感が高いのではないだろうか。

自戒を込めて。

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