働き始めて数年が経ち、職場で「PDCAサイクルをいかに早く回せるか」的な話が出ることが何度かあった。
僕は実際のところ社会不適合者なのだが、持ち前の性格の良さと要領の良さ(ズルさともいう)を遺憾なく発揮し、何とか社会に適応しているように見せかけている擬態社会人だ。
なので「PDCA云々」と言われても「そんなものよりマニ車を回した方がいいですよ」と言いたくなってしまう。
先日、自分の中でPDCAについて問答をしたので、その内容を書いておく。別に僕は友だちがいないわけでも、頭がおかしいわけでもない。さて、以下に示すのは、脳内のウツボAとウツボBの会話である。
A「PDCAって、それぞれ何のアルファベットか知ってる?」
B「もちろん知ってるよ」
A「じゃあ、確かめていくね。まずPは?」
B「Penis」
A「おい、いきなり違うぞ。一応続きも聞こうか。Dは?」
B「Dick」
A「……Cは?」
B「Cock」
A「ここまで全部ちんこじゃねえか!」
B「もしかして間違えてた?」
A「全然違うよ! じゃあ最後のAは?」
B「Action」
A「そこは正しいんかい」
この不毛な会話劇を載せたのは、これを読んだ人間がPDCAと聞いたときに、まず「ペニス…」と考えてしまう呪いをかけたかったからである。全世界のビジネスパーソンたちよ、PDCAと聞いて「陰茎ちんこチンポ行動」という言葉を思い出すようになれ。
書いていて気付いたけど、「陰茎ちんこチンポ行動」ってめちゃくちゃ語感が良いな。間違いなく流行る。今年の流行語大賞に選んでくれてもいいですよ、ベネッセさん。
そんなことより話はマニ車だ。そもそもマニ車とはチベット仏教の仏具の一種である。ここではPDCAよりマニ車を回すべき理由を3つ挙げる。
※マニ車についてもっと知りたい人は自分で検索してください(他力本願)←仏教要素の添加
1. 徳が積める
マニ車を回すべき最大の理由にして、最大のメリットである。なんとマニ車を回すと徳を積むことができるというのだ。
PDCAを回してもキャリアは積めるかもしれないが、徳を積むことは難しい。現世のキャリアを追い求めるのではなく、来世以降のためにマニ車を回して徳を積まなければならない。
2. 簡単に回せる
PDCAサイクルを回すのに時間がかかる。一方、マニ車は手軽に回すことができる。小型のマニ車であれば、手に持ってコロコロするだけだ。
PDCAは回すために4段階の手順を踏む必要があるが、マニ車は単に回すだけでいい。こんなにも簡単なのに回さない理由はあるだろうか? いや、ない。
3. 生活とともにある
マニ車は手で回す小型のもの、僧院の柱のようになっている大型のものなど様々な大きさと形のものがある。もはやマニ車は「回っていればいい」という領域に達しているらしい。
ネットで調べると色々なマニ車が出てくる。例としては、水の落下によって回る水力マニ車。風の力で回る風力マニ車。モーターで回る電動マニ車。一体、誰の徳が積まれているんだ?と思わなくもない。そのうち、核分裂や核融合で回るマニ車が出てきても僕は驚かないだろう。
とにかく、このようにマニ車はあらゆる形で僕たちの生活に組み込むことが可能なのだ。マニ車を生活に入れてしまえば、なんと自覚しないうちに回して徳を積むことが可能だ。これがビジネスパーソンが言う”仕組み化”ってやつの好例だ。
なんだか前書きの方が長い記事になってしまったが、とにかくマニ車を回すべき理由は分かってもらえたはずだ。僕はPDCAを否定しているわけではないことをお断りしておこう(どの口が言うかとお思いだろうが)。
社会人たちよ、PDCAだけでなく、マニ車を回してガンガン徳を積んでいこうではないか。これがこの記事で一番言いたかったことである。
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